2011年10月17日月曜日

『プロフィール』

〜プロフィール〜

羽鳥智裕

1978年7月26日水曜日

埼玉県桶川市の病院で産まれ、同上尾市で育つ。
現在は、東京から広島県山県郡北広島町(豊平地域)へ移住。

高校を卒業するまで、家族とロクに会話も出来ず、母親は心配していた。

小学校に上がる頃は、近所の田圃や雑木林が遊び場。常に一人だった。

きょう、息子とふたりドライブに出かけ、途中、ススキとアワダチソウの野原があって、なんだか懐かしい気分になった。
それは、自分が見てきたものとまるで同じではないけれど(上尾市にここまで背の高いススキや雑草はないから)、ぼくが、小さなころ見て育った木や稲の海がそこにだぶって見えた。

現在、働いている施設。
そこには、知的・精神的・身体的に障害を持っているとされる人々が、各棟にそれぞれ三〇~五〇人前後まで“段階的”に入所して(もしくは収容されて)いる。
皆、個性豊かな面々で、ぼくにとっては癒しの場所である。
当然、問答無用に傷つけたり、傷つけられたり、日常は平坦じゃない。
けれど、三月十五日まで過ごしてきた東京での暮らしよりも、比べようのない充実感に充ちている。

何故、あんなにも空虚な感覚が東京には充ち満ちているのか?
いま、こうしている間にも興味は尽きない。

きょうのドライブの目的地のひとつに、広島県安芸高田市にある“ひとは作業所”という施設があった。
ひとは作業所については、各々調べて頂くとして、自分の感想としてとにかくここにも快適な空気が充ち満ちていたのでした。
そこの園長?(責任者)の方の話しぶりから漂うものが、自分を安堵させ、そしてまた、“ぼくの夢”は、加速するのでした。

“ぼくの夢”。
息子は、初めてそうした環境に触れ、いままでに知らない波動を感じたのか、一言も発することはありませんでした。
けれども、ぼくは、いずれ、こうした“障害者”たち、子供たち、そしてその親たち、とともに暮らしてゆきたいな。とモソモソ妄想するのでした。
よく、同じ職場の方々から「こんな仕事に就いていて本業に差し支えはないのですか?」と、質問されるのですが、とんでもない!こんな素晴らしい芸の肥やしは他にそうそうありませんよ!!








































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