~わたしたちに喪われたもの~
自分がいまもこうしていまのような生き方をしているのは、幼い頃から変わらない。
自分が遊んだ田んぼや雑木林、それらが皆同じ形をした住宅に変貌し、何事も無かったかのように、その家に暮らす父親は首都圏に通勤する。主婦は、複合スーパーへ買い物に出かける。子供はテレビゲームに夢中。
それを見つめる自分には、沸き起こる感情もなく、ただ、何も思わない。という凍てついた怒り。
いまでも変わらずあの頃の風景を思い描けるし、頭の中でいくらだって遊べる。
だから、構わない。
東京
広島に来て、良かったことと言えば、東京でのそんな割り切れない思いが、多少なりとも凝縮され、少しは分別して眺めていられるということか・・・。
祖父が産まれた函館、祖母が産まれた福島、母が産まれた東京、父と妻と自分が産まれた埼玉。
そして、いま、広島。
もうじき、あれから一年ですね。
「おばあちゃんがもう死んでて良かった。」
お母さんの言葉に頷いていました。