2011年4月29日金曜日

『太陽』

ジリジリと焼かれていた
どこへも隠れる場所なく
ジワジワと焦げ付いてく
四十九日の祈りの午後は
痛いくらいに肌を蝕んだ
また会おういつかどこか
初めてのときにわかるね
世界はいつも美しくなる
ただそれだけの為に廻る
ぼくは信じて疑わないよ
いまがどんなに醜くとも
世界はやがて美しくなる
ただそれだけの為に廻る
いまがどんなに醜くとも
ぼくは笑っていたいだけ
きみと笑っていたいだけ
笑えるよう強くなるだけ

2011年4月25日月曜日

『PANANUFA』

「“霊性”に悪意はない。」
とは、わたくしの友人の言であり、わたくしもそれに同意するものです。

“悪霊”。と、言われるものは、生きるものの思い込みであり、きっと、そう思い込むことにより本人は救われているのでしょう。
それは、妙に不安がったり、畏れる必要の無いものにさえ畏怖の念を抱くのと同じ。

人間と同じく、“花”も新鮮なものの輝きに勝るものは無いのですが、
生きるものの中身もまた、死と等しく奥深いものです。

若い女や男の肉体の煌き。
それに対する枯れた色気はなんとも言えず。
肉が語るのです。

『PANANUFA』において、モデルを務めてくださった方々の多くは二十台・三十台ではありますが、百三歳という高齢の大樹もおられました。
この方の写真は、『LAST DANCE』と銘打たれ『PANANUFA』とは一線を画すものとなりましたが,,,。

はてさて、
『PANANUFA』が、こうして、二年程でしょうか?
池内氏との共同制作(ご当人とは二千六年より始まりました。)を通し、日の目を見ようとしておるところ。
まだまだ未熟なわたくしをリードし続けてくれた彼には、本当に感謝と引き続き叱咤を贈りたく存じます。

そもそも、
彼=池内功和との共同制作の始まりは、前述の通り、二千六年より始まり、もう五年を経ようとしておりますが、音楽におけるバンドなどに置き換えてみれば“過渡期”・“中間”の山場でしょう。
この五年、自分の身においては、まだまだアマチュアに毛が生えたようなもの。
それは、意図的に「“アマ”であろう。」という意識も働いておりました。
ですが、
こうして世の中が正に、“混乱の過渡期”に足を踏み入れた今現在。
無理やりにでも“プロ意識”の渦の中に引き摺り込まれんとするかのような日々です。

作家とか表現者とか、芸術家とか。
そうした“言霊”に対し、さらに厳密に“大多数な言霊”に対し、わたくしは、“ポップに”相対・反対して参りたく思いました。つくづく。

わたしはわたし。
あなたはあなた。
顔から顔へ。
手から手へ。

“花”
を通じ
あなたと
ひとつに
なりたいものです。

是非に4月29日金曜日祝日は、六本木はzen(禅) foto galleryへ足をお運びあれ。
あなたのS極&М極の友、ハリ~より。

2011年4月24日日曜日

『PANANUFA』

4月29日~5月15日

六本木・zen foto gallery ニテ
http://www.zen-foto.jp/web/html/exhibition-next.html

『PANANUFA』
池内功和写真展
collabo 羽鳥智裕

4月29日19時~
羽鳥智裕・華道ライヴ

※生贄志願者は要・生贄衣装にてご参加あれ。



~世は混乱の極み。聖人か?俗人か?雄叫び上げよ、花ニンゲン。美しく殺してやろうホトトギス。ギスギス啼けよホトトギス。ふぁっきゅう。らびゅう。

2011年4月18日月曜日

『いけないことかい?』

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2011年4月12日火曜日

『月の民×地球(ホシ)の民』

はすとばら
hasutobara.exblog.jpにて
『月の民×地球(ホシ)の民』
おしまい。

次は四月二十九日
六本木・zen foto gallery
池内功和の写真個展・『PANANUFA』
オープニングにて
やる

2011年4月9日土曜日

『月の民×地球(ホシ)の民』

少年は浅はかな夢の中
砂漠の果ての泉愛の海

湖畔の木々の灰色の空
脈打つ木々の根と枝葉

霧の立ち込める夢の跡
薄暗い空に張り巡らす

木々の神経質な響きに
少年は屍とともに踊る

枝葉だけが到達する天
少年は屍とともに踊る

途絶えた浮遊する霊魂
鎮めんと祈り願う日々

日々が響き渡る切なさ
鎮めんと祈り願う瞬間

2011年4月8日金曜日

『月の民×地球(ホシ)の民』

土は死の蓄積
鳥はそれを啄み
それをどこかへと
羽ばたき運んで行く
それは未来という名の
皮肉と矛盾を孕んだ地だ

土は眈々と死をくり返して
鳥はまたやがてそれを何処へ
始めから定められた約束の物語
土は人の営みに苛まれ続ける為に
鳥は人の営みに憧れ続ける為に
死と俯瞰のはざまの愛に病む
人よ生きよ産めよ育てよ愛

限られたわずかな時間を
愛に死すべき約束の民
果てしない砂漠に泉
情熱に浮かされよ
情熱に焼かれよ

2011年4月7日木曜日

『月の民×地球(ホシ)の民』

死の観点からものを観察する人もあれば、
その逆もまたあり、
人間の枠からものを観察する人もあれば、
その逆もまたある。

要は、違う次元の人々同士話し合うことだ。

お互いの意見を封殺しあう限り、
あとは、殺し合う以外、手だてはない。
それは大変た易い。

お互い辛抱強く、お互いの時間を味わうことも、
たいせつなことではないか?

あらゆる多くの情報たちが、
感情に支配され、冷静さを失っている。
わたしの友人の一人は、それを花火と呼ぶ。
では、花火が心ゆくまで打ち上げられたいま、
何が求められているのか?
ずっと考えていた。

いずれにせよ、積極的なそれぞれの参加をわたしは望む。
知識と信じるそれは、単なる印刷物でしかない。
頑な肉体から吐き出されるそれに騙されるな。
おまえが何を信じていようと、
おれは、それを聞いてやろう。

花を見よ。

天を見よ。

あらゆる先人の智慧を駆使せよ。

わたしもあなたと同じく一人の愚者。
みんなみんなおんなじ馬鹿。
それがいまを生きるもの。

表現するとは、怖いこと。
素直な気持ちと、つくべき嘘とを、隔てたうえで。

気仙沼の風景を前にして、わたしはシャッターをきり、
ムービーを廻す。
使命感を支えに、妻と仲間から預かったものを届けるため。
記録と記憶とを語り継ぐため。

わたしのなかには、
被災地の人々にかける言葉など持たない。
わたしの使命感は、東京の人々に向かっていた。
震災直後の自分の感情。
広島と上関のおばあちゃんの話。佇まい。
被災地の光景。
それらすべて、東京の人々に向けられていた。

文章で、わたしは人々に伝えようとは思わない。
わたしの信念は、手から手へ。顔から顔へ。
ぜひとも、四月十日日曜日ははすとばらへ。
hasutobara.exblog.jp
いま一度、わたしはあなた方へ伝えたいことがある。

言葉より、もっともっと古い魔法で。
肉体に宿る前より知っている魔法で。




月の民×地球(ホシ)の民

『月の民×地球(ホシ)の民』

四月十日日曜日

18:00〜24:00

KADOH・羽鳥智裕
BOUZOUKI・yoya

at “はすとばら”