三月十五日に、
東京を飛び出してから二週間を経過し、
事態は想像していた以上に悪化。
四月三日に東京へ戻る予定。
四月二日、
自分は、
ここ広島のNGOの方と共に気仙沼を訪ねる予定。
自分には何も出来ない。という声。
自分には何が出来るのか?という声。
いや、何か出来るはずだ。という声。
反復を繰り返し、
ともかくそこに立つべきだ。という答え。
常に自分はそうしてきたし、
いつだって、
何もわからない中で、
もがきながらいまがある。
“自分のために”、自分は志願した。
自分の生業は花だ。
自分自身が花であるとさえ思っている。
花はどうか?
花の成す様はどうか?
花は絶えず土と水と風と光と共にある。
被災地の花々はどうだろう?
季節と共に花は咲くだろう。
東京はどうだろう?
東京の人々はどうだろう?
東京という現象はどうなんだろう?
バラバラでバラバラに孤独で不安で“自由”な脆弱な花々。
バラバラでバラバラに経済に廻し廻される“平和”な肥えた花々。
“東京”は、自分にとってやはり多くを占める題材だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿