2011年3月30日水曜日

『東京』


三月十五日に、
東京を飛び出してから二週間を経過し、
事態は想像していた以上に悪化。

四月三日に東京へ戻る予定。

四月二日、
自分は、
ここ広島のNGOの方と共に気仙沼を訪ねる予定。

自分には何も出来ない。という声。
自分には何が出来るのか?という声。
いや、何か出来るはずだ。という声。
反復を繰り返し、
ともかくそこに立つべきだ。という答え。

常に自分はそうしてきたし、
いつだって、
何もわからない中で、
もがきながらいまがある。
“自分のために”、自分は志願した。

自分の生業は花だ。
自分自身が花であるとさえ思っている。

花はどうか?
花の成す様はどうか?
花は絶えず土と水と風と光と共にある。

被災地の花々はどうだろう?
季節と共に花は咲くだろう。

東京はどうだろう?
東京の人々はどうだろう?
東京という現象はどうなんだろう?
バラバラでバラバラに孤独で不安で“自由”な脆弱な花々。
バラバラでバラバラに経済に廻し廻される“平和”な肥えた花々。

“東京”は、自分にとってやはり多くを占める題材だ。

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