2018年11月29日木曜日

「線」

福祉の仕事をしている。
それは ある知的障害者福祉施設。
そして 今日 改めて思ったのは 自分は第一に自分のために働いているということ。
施設を利用する人たちから様々なことを教えられている。
その人達の暮らしのお手伝いをする。
それによってお金をもらう。
とても良い循環だ。

以前は 花屋にいた。
花屋と福祉には共通することが多い。
けれども 福祉では「そりゃそうだ」と言われることが 花屋では「?」なことが多い。
花(命)を扱う以上 それなりに覚悟がいる。
施設では 命と常に向き合っている(向き合わなければならない)。
花同様 重くなると辛い。軽くなっても辛い。それぞれにバランス感覚がいる。

そんな施設に勤めながら いまも花を生けている。
ぎりぎりのところをいつも生きていくことになる。
花を生けることも 人と向き合い続けることも 畏れ多いことだ。
常時 それはできないので なるべく早く帰宅して 家族と過ごすようにしている。
「世を生きる上で 多少のストレスは付き物だよ。」と言う先輩がいたが 自分はどう考えてもストレスはいらないものだと思うので ストレスとは向き合いたくない。
だが 花や 身近な誰かが ストレスを抱えているというなら 向き合わないわけにはいかない気もするが 果たして背負い切れるとは思わないので ただ「そうか」と言ってうなづき黙っているばかりだ。

施設に勤めてみて とても良かったと思ったのは どこまでも人というのは“誰もが違う”ということを学んだことだった。(別に施設を辞めるわけではないが 施設との距離をいままでより少し離す必要があると思ったのだった。)
“誰もが違う”ということが もしかしたら自分が求めていた答の1つのような気がする。
“本当に違うのだ”ということが確かめられたのだ。
だから その先に“分かり合う”ということがあるのかもしれない。
“本当に分かり合えるのだ”という実感を もうすぐ味わうのかもしれない。
これについては スタッフ間では幾度となく味わったものだ。けれども 施設を利用する誰か となると まだまだ奥深い気がするのだ。

さて では花はどうか というと…
花はその更に向こうにいるのだ。
つまり 花と福祉(というか施設を利用している人達)とは1つの線で繋がれているのであった。

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