2011年1月4日火曜日

『KINGA SHINNEN』

2011





新年です。

昨年同様変らず宜しくお願い致します。

昨年より本年は、実家の上尾、そして妻の実家の越谷へと挨拶をし、本日、一足先にひとり田端へと戻ったところであります。
本年で我が家も七年目を迎えます。
“家”
として”完成”の年であります。

本年はますます“希望”の年。
あれもこれもどれもそれも“希望”に塗り替え、“自由”の道をひた走ります。
引き続きご愛顧下さいますよう、“お互い様”の精神で参りましょう。

昨年は、
皆様いかがお過ごしでしたでしょう?
私につきまして勝手に振り返ります。

2010
壱〜参月
年明けより、“TREEHEAD”と称し、KADOH(IKEBANA) BANDとして初のライブハウスに於けるKADOH LIVEを経験。
祖母の命日、2月26日には、OTSUYAのイヴェントを都内某所にて開催致しました。
その後、3月、SALONE DE 酔鯨館でのYOYAとの共演。“ミノタウロス”をテーマに。

2006年より引き続き、写真家・池内功和、音楽家・YOYAとの関わりが大きく作用しながら、一年が始まりました。
2月には、息子・日都(わと)が壱歳になり、
3月には、妻・明子が36歳になりました。

2006年という年は、自分は、28歳でしたが、きつい26、27歳を乗り越え、新たな何かに向かうそんな年でした。
だから、自分に何か変化を齎すものを探し求める。自分自身は、場数を踏んでゆく。そんな年でした。
写真家・池内、ヴズーキ(ギリシャギター)奏者であるYOYAとの共同作業は、一作家・一表現者として生きてゆく私にとって、多くの恵みを齎しました。共に、毎月の撮影や即興パフォーマンス等を繰り返しました。それらが実を結び、いまの自分があり、2011年にも生き延びている次第であります。

四月〜六月
やがて暖かな春を迎え、と、同時に辛抱の時期へと入ります。
ドイツはベルリンへ行くために、よく働きました。
妻が見つけた花専門の派遣会社にお世話になりながら、渡航費を稼ぎました。

七月〜九月
ベルリンへ。
七月の末より、九月の頭まで、ベルリンでの展覧会等に参加。

十月〜十二月
十二月
『マグマ』
このいけばなの会は、自分にとっての転機とも言える2003年〜2010年の為の集大成とも言える会でした。
親愛なる“青空洋品店”のオープニング・パーティを介し、
ギャラリー・“HIGURE”との出会いは齎されたのです。
そこにまつわるひとびとももちろんそうなのですが、私は第一に、その“場所”というものに“感謝”を捧げたいのです。
七年分の“己”というものと、“未来”へ向けて、YOYAと共にパフォーマンスしました。
沈殿する神殿。現代に向けて。



たいへん、スピーディに一年を振り返りましたが、まあ、なにはともあれ“未来”へ。








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